釣り好きオジサンのパックロッド片手の電車釣行&地元の川釣り blog

2021/09/09

忘れ得ぬ釣り人 N島のお爺さん

event_note9月 09, 2021 forumNo comments

最近知り合いに小物釣りをあれこれと教えていて、ふと”自分は誰に釣りを習ったんだっけな”と過去を思い出す機会があったので、書き留めておく



僕が生まれて初めてした釣りは、記憶にはないが写真が残っている秋川渓谷での家族でのマス釣りである

おそらく三歳くらいの僕がマスを片手に嬉しそうに笑っている写真があり、その写真にはまだ存命だった母方の祖父母や若い両親が写っていてなんだか懐かしい様な恥ずかしい様なくすぐったい気持ちになる。

山形出身の祖父は川から海までオールラウンドの釣り人で、その薫陶を最初に受けたのがそのマス釣りだったのだろう。


残念ながらこの時釣りの経験は記憶には残っていないが、車窓から見下ろした秋川渓谷の広々とした眺めは今もうっすら覚えている





さて、では記憶にある最初の釣りはいつかというと、園児の頃に我が家の斜向かいの家の裏に住んでいたN島さんという農家のお爺さんが釣れて行ってくれた小物釣りである。

“N島のお爺ちゃん”と当時の僕は呼んでいたが、N島さんはその当時70代くらいだったと思う。小柄で、日に焼けた顔に大きな眼鏡をかけ穏やかな顔をして、いつも大きな麦わら帽子を被っていた姿が今でも思い浮かぶ


N島さんはおそらく今で言う小物釣り師であり、毎日毎日自転車の荷台に小さな釣り道具箱を結びつけて釣りに出かける姿を見かけていた。

きっかけは覚えていないが、当時から魚獲り(網で掬う方)が好きな幼稚園児であった僕は、ある日N島さんに釣りに連れて行ってもらう機会を得た。

N島さんの自転車の荷台に乗せて貰い、釣り場に連れて行って貰ったのだ

その場所は国道を挟んだ田園地帯の中程を流れる小川のような用水路であった。いまでこそ自転車で10分かからずに行ける場所だが、まだ自転車に乗れなかった僕にとってはとても遠くに連れてきてもらったように感じられた


側には小さな稲荷があり、細い村道が通る橋から見下ろした用水路は、近くの鬱蒼とした屋敷林が影を落として、淵はとても暗く底が知れない。ここに落ちたら助からないだろうなと身震いしたのを覚えている。

僕が網で魚やエビカニを捕まえていたのは、近所の田んぼの横を流れる側溝のようなホソで、深さも20cmもないような場所であったため、N島さんが釣りをするような小川には近寄ったこともなかった

細い村道の橋の横に船着場の石の階段が組んであり、(今では考えられないが、我が街の用水路には昔は小舟が浮かんでいて、荷物運びに利用されていたのだ)この場所がN島さんのお気に入りであった。階段に腰掛けて流れの緩い用水路の中ほどから手前を狙っていた

N島さんの使っていた竿は2m程度のヘラ竿のような茶色に黒の縞模様、仕掛けはシンプルな唐辛子ウキの二本針だったように記憶している。餌は白い練り餌でプラスチックのポンプ(シリンジ)に入れて小さな粒にして振り込んでいた。

釣果については記憶が朧げだが、N島さんはクチボソよりも小鮒が釣れると喜んでいたように思う。釣れる度に川の中に沈めたビクに魚をしまい活かしていた。時々グルテンボウル(ねり餌を練るためのプラスチックのボウル)に魚を入れて見せてくれたりした。

僕が普段捕まえられる魚は2cmにも満たない小魚ばかりだったので、ボウルの中の10cmもある巨大な小鮒はまるで宝物のように見えた。おっかなびっくり観察し、そのような魚をいとも簡単に釣り上げてしまうN島のお爺さんはすごいなぁと思った記憶がある。


その後釣竿を渡してもらい、どうやって狙うとか、どんな魚がここにいるとか、どんな魚を釣ったことがあるとか色々な話を聞きながらフナの釣り方を教えて貰った覚えがある。


“鮒は魚編に付くと書くように、壁際や橋脚、葦際、水中の物陰に付いているからそういう場所を狙うんだ”というフナ釣りの定石を習ったのはこの時だった様に思う


この時はなかなか釣れなかったが、帰り際にやっと某かの魚が一匹釣れて喜んだ記憶がある。魚種は定かではないがN島のお爺さんが褒めてくれたように思う


これが僕の記憶にある初めての釣りであり、正しい釣りのやり方を教えて貰った最初の経験だったと思う。







先日、その場所に30数年ぶりに行ってきた。

村道にかかる小さな橋は、歩道付きの橋に変わっていた



穏やかな用水路の流れはコンクリート護岸化され、なおかつ暗渠化されていた


真新しい鳥居が目立つお稲荷様は当時は90度左を向いていたと思う。

見覚えのある道祖神は健在であった


暗渠の隙間から覗く水路は轟々と水が流れていた。これでは小魚はいられまい


この地帯の用水路は20年ほど前にコンクリート護岸化されていたのは知っていたが、実際行ってみるとあまりにも様子が異なっていて驚いてしまった。

周囲の田畑もなくなり、屋敷林も少し残る程度であった。用水路は整然とした無機質な暗渠になっていて、船着き場の名残りは欠片も残っていなかった。


”思い出の風景は思い出の中にしか無い”ことを再確認した。



自然環境は変わってしまっても、N島のお爺さんに習った釣りのエッセンスは僕の中にあり、僕が誰かに釣りを手ほどきすることで連綿と繋がってのだろう。

そうしていけば、いつか僕も誰かにとっての”忘れ得ぬ釣り人”になれるかもしれない。



短い人生の中で人と繋がって、誰かの中に自分の生きた証を少しだけ残していく。人間というのはそういう生き物なのだ。


近頃そんなことを思ったりする。

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