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2021/09/12

忘れ得ぬ釣り人 シラサギのおじさん

event_note9月 12, 2021 forumNo comments
近頃小物釣りにせっせと通っているが、小物釣りといえば忘れられない人がいる





僕が小学三年生の頃、祖父から誕生日プレゼントで淡水釣りの仕掛けと本を一式買ってもらった僕は釣りに夢中になっていた。

といっても、まだ一人で釣りが出来るほどのセンスがあるわけもなく、買ってもらったばかりの釣り道具は大事にしまって、自転車で田園地帯の用水路まで出かけていって釣りをしている人の隣で釣りを観察させてもらう(今思うと迷惑な子供だ)というのが主だった気がする

人の釣りを見るというのは面白いもので、同じ釣り物でも人によって竿から仕掛け、エサまで結構違っていて、少年の僕はあれこれと質問させて貰っていた記憶がある

当時は用水路に大きな堰があり、その堰下はタナゴ釣りのメッカとして、近隣の釣り人を集わせ、いつでも十人以上の釣り人が竿を出していた

当時はタナゴはありふれた魚で、別にありがたみも感じていなかったので堰下の釣り人達には特に質問はしなかったが、今思うと勿体ないことをしたなあと思う



さて、そんな初夏のある日、いつもよりも少し遠出をして田園地帯の一番端にある小川までやってきた。

両岸にセンダンやケヤキ、ハゼなどが青々と茂り、川の上をその枝葉で覆っていて、隙間から日差しがキラキラと透明感のある川に落ちていた。

橋の上から川を見下ろすと、3m程下の浅い流れの中程が小さな堰提になっており、その堰提の真ん中あたりの砂州に座って釣りをしているおじさんがいた。

”釣れますかー?”と声をかけるとおじさんは”見においでー”と声を返してくれた。


見においでと言われても、3m近い川をどうやって降りたものかと思案しているとおじさんは左側の壁を指差す

その方向をよく見ると壁に縄梯子がかかっていた。

当時、校庭にあったアスレチック遊びに夢中だった僕としては、その縄梯子がたまらなく魅力的に見えたのを覚えている

川べりの柵を乗り越えて、縄梯子に足をかけておっかなびっくり川底まで降りていく。

今にして思えば人生で縄梯子を使ったのはこのときが最初で最後である

さて、川底に着いて堰提の濡れてないところを選んでおじさんの横に行くと、上から見た時は気が付かなかったが、おじさんの右側にシラサギが一羽居座っている

”サギ、逃げないんですか?”と聞くと、”いつもここで釣りをして、釣った魚をあげるうちに隣に来るようになった”というではないか

そんなことあるのか?と驚いていると、”見ててみな”とおじさんはビクから小魚を取り出してサギの目の前の砂州に置いた

サギはさも当然といった感じでその小魚をくちばしでついばんで丸呑みにする。

不用意に近づくとすぐ逃げてしまうシラサギが人に慣れていることにも驚くが、自分でエサを探すより人から貰ったほうが楽だと学習していることにビックリする

聞けば、シラサギはフナよりもクチボソなどの細身の魚が好みらしく、おじさんはフナを釣りたいのだがサギのためにクチボソも釣っているという

そのため竿を2本だして、一本でフナ、もう一本でクチボソを狙っているという。

堰下の流れの巻いて緩やかになっている場所にウキを流し込み、ウキが馴染むかどうかというところで素早くアワセが入り、クチボソが釣られる。それをまた砂州に置くとシラサギが食べる。

当たり前のように繰り返される流れに目を丸くする

”ボクも釣ってみるかい?”とクチボソ用の竿を貸してもらったので、自分でもクチボソを一匹釣り上げて、針を外してからシラサギの前に投げると、お行儀よく?待っていたシラサギが足元に置かれたクチボソを咥えて飲み込む

”すごいですね”と感心していると、おじさんは得意そうであった。

数十分か、数時間か、そんなことを繰り返していた。


川底から空を見上げると、緑の木々の隙間から午後の日差しがキラキラと降り注ぎ、堰提を走る水音がざあざあとこだまし、まるでこの場所が日常の世界から隠された特別な場所のように感じられた。

”すごくいいところですね”とおじさんに伝えると、”ボク、明日も来るかい?来るなら余ってる竿をあげるよ”と言われて、喜んで”明日も来ます、釣り見せてもらってありがとうございました”とお礼を言ってまた縄梯子を登って帰路についた。

初めてきたこの場所は家から自転車で30分程かかる場所で、田園地帯は傾き始めた陽射しに色づき、僕は急いで帰らないと門限に間に合わないと思い一生懸命自転車を漕いで帰った。

明日会ったらおじさんにもっと釣りを教えてもらおうと思っていたが、あいにく翌日から数日間雨が続いた

今思えば、雨が上がったタイミングでまたおじさんに会いに行けばよかったと思うのだが、”竿をくれる”というおじさんの善意を裏切ってしまったことと、”明日来る”という約束を破ってしまったことで、少年の僕はおじさんに嘘をついたような申し訳なさを感じて、その場所に近付くことができなくなってしまった。

数カ月後に同じ川を訪れると、川の水位が増して堰提の中洲はすっかり水底に沈んでしまっていた。

それきり、シラサギのおじさんとは会えていない。










先日、そんな思い出の地に自転車で行ってみた。

左岸の木々はすっかり伐採されてしまいた。小さな堰提も川底に沈んでいる


当時は川だと思っていたが、この川もまた農業用水路である。春に水を入れ田植えをするために増水し、田んぼに水が入った初夏の時点で一度減水し、夏から秋にかけて何度か田を干すために増減があり、秋から冬の農閑期は減水した状態が続く。

そういう農業に則した水の巡りがあり、シラサギのおじさんと出会った初夏の頃は丁度減水のタイミングであったのだ。そういう意味ではあのおじさんがあの場所で釣りをしていた事、たまたまその場所に自分が居合わせた事はどちらも偶然のめぐり逢いであり、まさに一期一会の機会であったとも言える


忘れられない、少年の日の思い出である。

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